鳴らないサイレン

今日は、8月6日。ヒロシマ人にとっては特別な日です。

朝8:15にはサイレンが鳴り、黙祷をする。
テレビでは平和記念公園で平和宣言。
暑い夏に、落とされた一発の爆弾。
その圧倒的な威力ときのこ雲。
はだしのゲン
悲惨な被害、焼け野原からの復興。

そんな夏を毎年過ごしてきたが、就職を機に関東に出た。関東で8月6日のサイレンがならないのに気がついたのは、就職して3年が過ぎてからでした。とても寂しい気持ちになったのを覚えています。

平和宣言は、子供心に第二次世界大戦の侵略国が平和を訴えることへの複雑な想いがありました。その頃行き着いた結論は、「たった一発の爆弾で一つの街が焼け野原になる。そんな兵器が地球上にあってはいけない。」ということでした。一般市民を虐殺することには虐殺する側にも相当の痛みが伴う、それが戦争の抑止力になる、しかしボタン一つで大虐殺ができてしまう核兵器はその抑止力が働きにくい、だから核兵器は存在してはいけない、と思ったわけです。

最近、田原総一郎さんが「戦争はすべて侵略戦争である」という言葉に救われた気がします。戦勝国になれば侵略戦争とは言われず、戦敗国になれば侵略国と言われるだけ。当時の列強国はすべからく侵略国である、というのです。
日本が侵略国であることには変わりないが、少しだけ楽になりました。別に侵略国だからといっても、今の先進国はすべて侵略国なわけで、世界平和を訴えることへの妨げにはならないと思えるようになったわけです。

就職して関東に出て世界平和について考えることも少なくなりましたが、昨日「ヒロシマ・アーカイブ」を見かけて嬉しくなりました。被爆者の方は高齢化して少なくなってきていました。それとともに重要な歴史が失われていくのではないかと。しかし、デジタルデータとして保存することができた、ギリギリ間に合った、と。

ヒロシマに生まれ育ったヒロシマ人として、この想いは忘れないようにしていこう。
今は関東にいるけど、ヒロシマ人は今日も生きてるゼ!

2011.8.6 マクドナルドにて。